小松帯刀公(29代)の墓は小松家の菩提寺であった園林寺跡にあります。 小松家は、413年前にこの吉利郷に大隈の根占から領地替えさせられています。このとき、園林寺は鬼丸神社などとともに移されました。 小松家は、以前は禰寝と称していましたが、24代清香の時、祖先である平重盛が小松内大臣であったことから姓を小松に変えています。 園林寺は明治2年の廃仏毀釈により廃寺となり、入り口ある痛々しい仁王像がその歴史を物語っています。 墓所への途中には、吉利地区公民館が主体となり森林環境税により整備した休憩施設があって、桜などが楽しめます。これらは「小松帯刀を守る会」により、定期的に管理されています。 小松帯刀公の墓は、妻お千賀と並び、その横には昭和天皇より賜った石灯籠、幕末の横綱陣幕が奉納した石灯籠、また第二夫人の琴子の墓もあります。 |
第28代清猷公を前に並ぶ墓石群 | ![]() |
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第二夫人 お琴 |
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第29代 帯刀公 | 妻 お千賀 |