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☆阿弥陀堂跡 ☆石地蔵(野久尾家)

 小松家の居城で南谷城と称し、現在の吉利小学校にあります。

 ここに小松帯刀公は初入り後、一月とどまり領民と親睦を深めて、窮民を救うなど生活に気を配り、「小松家の名君」の誉れを藩内に轟かせました。

 お仮屋内には垂蝋所がありました。薩摩藩では殖産興業の一つとして(はぜ)を植えさせてロウソクをつくり貿易品として、藩財政を豊かにしていました。これを初めて計画したのが当地吉利の後に薩摩藩家老となった21代領主禰寝清雄公で、吉利、阿久根、桜島の3ヶ所に垂蝋所を設けました。

歴史探訪
現在の吉利小学校 垂蝋臼

史跡案内

☆観音堂
☆お仮屋

 小松家の新しい菩提寺で明治2年の廃仏毀釈により園林寺が廃寺となった後、明治11年に建てられました。帯刀公の妻お千賀が日夜、帯刀公の菩提を弔っていた阿弥陀如来像と帯刀公の父第28代小松清猷公の筆になる「清浄山」の扁額があります。

また、お寺内には鹿児島市内の西郷銅像と向い合って建立されている小松帯刀銅像の原型型枠を利用した像が平成19年に地元の方々が中心になって建てられています。

☆清浄寺

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☆石仏像(下内家) ☆里程元標
お仮屋を向いて立つ帯刀像
清猷公が12歳の時書いた書 阿弥陀如来像